有田芳生「ヘイトスピーチとたたかう!――日本版排外主義批判」(岩波書店)

 2013年の始めにある作家が投稿したツイートに、在特会ヘイトスピーチが載っていた。それに触発されて、日本のヘイトスピーチ問題にかかわっていくことになった国会議員による反差別の記録。出版された2013年は、在特会に代表されるレイシストの運動の最高潮と、それに対するカウンタープロテスターの運動が始まった「記念」的な年になった。とくに上半期の半年は大きな出来事と変化があった。この本でも、ツイートをみた翌月2月の参院院内集会から7月7日の新大久保をターゲットにしたヘイトデモの中止までが詳述される。この間のできごとは別のエントリーで詳述した。
法学セミナー2016年5月号「ヘイトスピーチ/ヘイトクライム II」(日本評論社)
笠井潔/野間易通「3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・SEALDs」(集英社新書)-1
笠井潔/野間易通「3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・SEALDs」(集英社新書)-2
等を参照してください。

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 ヘイトデモや街宣に参加するレイシストの特長を著者や巻末の対談参加者は次のようにみる。1)承認欲求が強い(目立ちたい、注目を浴びたい)、2)被害者意識が強い(自分が加害している意識は稀少)、3)自制が利かない未熟な人格(カウンターに暴言や暴力を発す、自分より弱そうな相手に攻撃的)。これはネット中継でみる街宣やデモの参加者に見られる傾向と一致。ヘイトスピーチに一人で抗議すると多人数で囲んで威嚇し脅し、行く手を阻んで怒鳴りつけたりするのを何度みたことか(なので、ひとりで抗議に向かうのは危険。遠方から記録してSNSに報告するのがよいです)。レイシストの詳細は安田浩一「ネットと愛国」(講談社) や「ヘイトスピーチ」(文春新書)で補完しておこう。
 後半はヘイトスピーチの法規制について。日本は人種差別撤廃条約に加盟したものの「人種差別は存在しない」と政府が答弁するため、法規制はなかった。法規制は表現の自由を侵害する恐れがあるとして、規制には消極的ないし反対の意見が多かった。そのなかで、本書や師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」(岩波新書)は法規制を推進する立場にたった。すでに各国では「人種差別の禁止は表現の自由に抵触しない」というのが通念になっていた。しかもヘイトスピーチの被害者は一方的に被害を受けるという非対称性があるので、対抗言論が成り立たない(そのうえ「ゴキブリ」「死ね」にどのような対抗言論、反論がありうるというのか!)。ネトウヨの戯言につきあわず放置すれば収まるといわれたが、それが成り立つのは知的エリートの集団の内部だけ。SNSや路上のような生活の場では放置すると、加害が増えエスカレートするので、対抗することが大事(これは学校や企業のいじめやハラスメントでも同様。加害者に直接対抗言論をぶつけることは重要。勇気のいることであるので、実践者にはリスペクト)。国会内でも慎重論があったが、転機になったのは川崎市ヘイトスピーチの実態調査を行ってから。この節のまとめや感想は、以下を参考に。
法学セミナー2015年7月号「ヘイトスピーチ/ヘイトクライム 」(日本評論社)
法学セミナー2016年5月号「ヘイトスピーチ/ヘイトクライム II」(日本評論社)
 著者は「現場主義」という。文字や画像や映像ではヘイトデモや街宣の異様さ、異質さは伝わらない。被害者の言い分や気持ちは直接聞かないと表現されることはない。なので「現場」をみろ、と。なにかをするのではなく、その場にいることが大事。書籍、新聞、ネットなどの二次データでヘイトスピーチを考える時、ヘイト慣れや安易な相対主義になってしまうことがあるので、この指摘はちゃんとおぼえておこう。

 

 俺は2013年6月30日に、新大久保のヘイトデモにカウンタープロテスターのひとりになった。集合場所の公園入口あたりでデモの開始をまっているときに、突然、「有田、有田」のコールが聞こえた。そのときはなぜ議員の名がコールされるのかわからなかったが、警察にヘイトデモの中止を要請しているのだと後で知った。

togetter.com


 なお、ヘイトスピーチの問題解決にあたるようになってから、在特会界隈は有田議員を被告とする裁判をいくつも提訴しているが、今のところ敗訴又は請求棄却となっている。在特会の全敗。
桜井誠が有田議員のツイートで誹謗中傷されたという件(原告敗訴)

www.mklo.org

・荒井泉が2016/6/5の川崎デモ中止が有田議員の責任であるという件(請求棄却)
・有田議員に「天誅」を加えるとHPで宣言し、街宣で演説した渡邊昇が脅迫罪で略式起訴された件

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