神原元「ヘイト・スピーチに抗する人びと」(新日本出版社)

 本書でヘイトスピーチや排外主義が強くなった経緯をまとめてみる。ほかの本でも取り上げられているが、自分の覚えていないことがあったので、再度。
・1990年代のバックラッシュ歴史修正主義サブカルや漫画にでてくるようになった。村山政権時の慰安婦に関する談話に反発する人が増える。
・2000年ころから政治家(石原慎太郎など)がヘイトスピーチを発し、これに反対する動きが起こらない。2002年、日韓ワールドカップサッカーを契機に「嫌韓・反中」が一般にひろまる。ヘイト本もたくさん出版。
・2006年在特会設立。2009年京都朝鮮学校襲撃事件、2010年徳島県教組業務妨害事件。
・2012年12月第二次安倍内閣発足。在特会のヘイトデモ活発化。
・2013年2月から新大久保でカウンター活動開始。
 重要なのは、戦後一貫して、この国の政府は差別政策(とくに在日コリアンに対して)をとってきて、政治家がヘイトスピーチを発してきた。これがこの国の人種差別を強化し、普及させる原因になっている。それをメディアが補強し(対抗言論を行わないのもヘイトスピーチ強化につながった)、ネトウヨのような市民が便乗する。昭和から在日コリアンへの嫌がらせやヘイトクライムがあったが、全国的に行われるようになったのは21世紀のゼロ年代自民党政権時になる。

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 ヘイトスピーチの問題は、社会的なマイノリティ(集団、個人とも)に表現(デモや街宣、路上での威嚇を含む)による暴力が向けられ、マイノリティを排除する効果を発する。ヘイトスピーチを向けられたマイノリティは対抗言論ができないという非対称があるのがより深刻(対抗メディアがないとか、対抗するとさらに暴力が向けられるとか、沈黙効果を強いられるとか)。著者は、ヘイトスピーチが個人の民族的アイデンティティを保持する権利(人格的生存権)を侵害するという。

法学セミナー2015年7月号「ヘイトスピーチ/ヘイトクライム 」(日本評論社) 
法学セミナー2016年5月号「ヘイトスピーチ/ヘイトクライム II」(日本評論社)
法学セミナー2018年2月号「ヘイトスピーチ/ヘイトクライム III」(日本評論社)

 ヘイトスピーチに対する規制は西洋では過去から行われてきた(宗教戦争反ユダヤ主義などの経験から)。西ヨーロッパでは国ごとに禁止法があり、国連も人種差別撤廃条約を批准するよう勧めている。一方アメリカのように法規制は行わないが、社会的な制裁機能があるところもある。日本は人種差別撤廃条約に加盟しているが、包括的な人種差別撤廃法は施行していない。そのため、2010年、2014年、2016年など複数回、国連は是正と法制化の勧告を行っている(日本政府は対象になる人種差別はないと説明して、事実上拒否。ちなみに10年代にアジア諸国で次々と人種差別撤廃法を施行し、国連の条約に沿った政策をとる国が増えてきた。ないのは、中国、北朝鮮、日本くらいになっている)。
 初出の2014年はヘイトスピーチ解消法の施行前。なので、法規制に賛成する著者は、法規制が表現の自由の侵害にあたらず、規制ができてもヘイターには不利益が行ないと主張する。また、政権による骨抜きや抱き合わせ(に取るリベラルのデモや街宣の規制)、憲法秩序の破壊、警察や行政による濫用(同じくリベラル規制)などを警戒する。これらは市民の運動がレイシストと行政などに向けられて、濫用や骨ぬきなどが起こらないようにすることが必要という。アメリカでは法規制はないが、レイシストの運動やヘイトスピーチがあった場合に、企業や市民がすぐに反応して抑制することができている(レイシストにホテルや集会場を貸さないとか、ヘイトスピーチをしたものは即座に解雇されるとか、レイシストの集会に数万人が抗議して集まるとか。そこには警察の過剰警備やレイシストのテロもあるので完全に封じ込めているわけではない)。
 2016年にようやく解消法が施行されたが、それによってヘイトスピーチが抑制されたのはわずかな期間だった。2018年初頭で現状を見ると、レイシストは法を無視して過去と同じヘイトスピーチをするようになり、警察はレイシストに寛容でリベラル、カウンターに厳しい。参院法務委員会で有田議員が警察に質疑をしても改善されない。さらにインターネット上のヘイトスピーチは放置されたまま(削除要請に企業は応じない)。EU、ドイツでは、マイクロソフト、グーグル、YouTubeフェイスブックなどが削除要請に24時間以内に対応したり、監視員を増員したり、放置したときの罰金制度を受け入れているのとは大きな違い。
 この状態を変えるのは、国会で法務省や警察にただしていくことと、市民の活動を継続していくことにある。帯には「問われているのは『民主主義』と『私たちの社会』」とあるが、それが射しているのはまさにこの二点。21世紀の311以後の市民運動の特徴は、組織・リーダーを持たず自発的な個人が参加していること、被害者を守ったり前面にだすことはしないでマジョリティの問題としてとらえていること、運動を多様化して参加の敷居を低くしていることなど。いずれも問題はあるが、新しい試みとして、著者は注目している。
 本書の冒頭には2013年初頭の新大久保がでてくる。ここでの在特会デモの衝撃やしばき隊の暗躍、プラカ隊ほかのカンター活動は、野間易通「実録・レイシストをしばき隊」(河出書房新社)有田芳生「ヘイトスピーチとたたかう!――日本版排外主義批判」(岩波書店)で書かれていることと同じ出来事。それぞれの立場によって感想は異なるが、そのあとの運動への期待は同じ(というか、それぞれはSNSでもリアルでも話し合う仲間なのだし)。おれがその運動のまったんのはじっこにいるのは、同じ期待と希望をみているため。 

ヘイト・スピーチに抗する人びと

ヘイト・スピーチに抗する人びと

 

 <参考>

ヘイトスピーチ解消法