【2019/6/28】相模原市でヘイトスピーチに罰則付き条例を制定することを検討 付)市内で行われたヘイト行動リスト
2020/8/24
朝鮮半島出身者らの追悼看板に傷 生徒ら修復要望、相模ダム
2020/8/24 20:55 (JST)8/24 21:03 (JST)updated
「神奈川県が設置した、相模ダム(相模原市緑区)の建設工事で亡くなった朝鮮半島出身者らを追悼する石碑の看板が、何者かに傷つけられていたことが24日、県などへの取材で分かった。神奈川朝鮮中高級学校(横浜市)の生徒が課外学習中、被害を発見した。生徒らは同日、県庁を訪れ、黒岩祐治知事宛てに修復を求める要請書を提出した。/ 看板には、日本人だけでなく、朝鮮半島出身者らが工事に従事した経緯が、日本語と英語で書かれている。そのうち「当時植民地であった朝鮮半島から国の方策によって連れてこられた方々」という日本語の文の一部に、ひっかいたような跡があった。」
2020/9/2
相模ダム、外国から労働者 埋もれた史実、碑文に刻む 地元有志、次世代に継承
「戦時下の労働力不足を補うため、朝鮮半島や中国から動員された人々が工事に従事した相模ダム(相模原市)。公的な記録が乏しい中、地元住民ら有志が歴史を掘り起こし、若い世代に語り継いでいる。/ 相模原市の橋本登志子さん(70)は若い頃に中国を旅行中、現地の老人にののしられた。他の日本人と一緒にバスを降りた途端のけんまく。中国語が分からず、通訳も「方言が聞き取れない」と言葉を濁したが、推測にすぎないものの罵倒と老人の片目がないことは無関係とはどうしても思えず、日本人への怒りを感じたという。
◆県史に記述なく
日本人が「加害者」であったという側面もある歴史を知り、自宅近くの相模ダムで中国人が働かされていたと父から聞いたことを思い出した。/ 「過去を見過ごせば、加害者と同じではないか」/ 県史に動員の記述がない中、昭和51年に「相模湖・ダムの歴史を記録する会」を結成した。/ 「終戦時にGHQ(連合国軍総司令部)が来るので、『出面』(出勤簿)を焼いた」「せっかんしているうちに死んでしまい、遺体を土中に埋めた」。聞き取り調査を進めると、実態が次々と浮かんだ。
◆会の活動の結晶
県は平成5年、ダム湖のほとりに石碑を設置。中国人捕虜や朝鮮半島から国策で連れて来られた人々が従事した歴史を中国語、ハングル、日本語の3カ国語で記し、亡くなった83人の名前を刻んだ。会の活動の結晶だった。/ 今、地元の中学生が授業で碑を訪れる。感想文には「日本人が昔、ひどいことをしていたと知り、悲しくなった」「語り継ぐことが大切」などの記述が並ぶ。橋本さんは「私たちがいなくなっても、地元の歴史を知ることができるようにしたい」と先を見据えている。」