#証言記録カウンター (北海道) TZW 1984さんの場合

 

 

https://twitter.com/andnothinghurt5/status/1491393202292928514

元々ネットあんま見なかったけど新大久保のヘイトデモのことは知ってた。たぶん音楽系のコラムなどから。札幌の雪まつりでのヘイトデモのことは知らなかった。
直接かち合ったのは北海道反原発連合の最初のサウンドデモ
ザイトクがサウンドデモにカウンターかけると呼びかけをしていた。
俺はサウンドデモの主催者の一人。
当日ザイトクの集合場所に札幌のハードコアパンクとスキンズ数名が乗り込み話し合いを行う。結果ザイトクはまとまったカウンター出来ず、何人かがデモの通り道にいたが何言ってるか聞こえなかった。
俺はサウンドデモ主催だったので話し合いチームには参加出来ず。
その後も反原発に対するチマチマしたネトウヨやザイトクの嫌がらせは続く。
その後安田さんの本読んだあと街出たらちょうどそよかぜの街宣しててどんなもんか見てみたりしてた。
すでに反原発のデモで地元警察とやりとりしてたので顔知れていて、すぐ声かけられたりマークされたりした
その後やっぱりシカト出来なくなり、自分のライブやSNSで呼びかけて大通り公園での街宣にカウンターすることにした。このときはほぼスタンディングしてただけ。カウンターというより抗議のスタンディング。100均で日本と韓国の国旗買って並べて掲げてた。
日時あいまい。
このときすでに警備課のマーク激しく、俺は常に二三人に囲まれたまま。自由に歩くことも難しい状況。
後日この日トラメガ使った抗議したらパクるつもりだったと友人に連絡来ていたと知る。それでも現場で自分を囲む警備課に、あんなひどいもの愛国者じゃないと訴え続ける。
ザイトク桜井の講演会にも行った。前日の街宣にカウンターしてない人間は入れていた。しかしあまりにつまらなくて前編で飽きて帰る。ザイトク藤田と少し話した。
その後も知人や友人が街宣の監視に行ったりしていた。その頃はまだ、事情あって直接デカイ声出してのカウンターはあえてしてなかった。
監視にいくたび警備課に囲まれた。
デモの二時間位前に警備やその他の状況調べようかと思ってサングラスしてあくびしながら警官をすり抜けて、テレビ塔二階に上がったらそこにも既に警備課いてすぐマーク、デモ終わるまで張り付かれる。
そのちょっと前位、他にネット上でカウンター呼びかけてた方とも話した。個人や少数での静かな抗議が続く。

 

togetter.com


そして2015の雪まつり。ザイトクの街宣の告知あり監視に向かう。
事情あったのでこの時も静かに監視するつもりだった。しかしみぞれ混じりの雪でクソ寒く、イライラしてきたのでとうとう、道の対岸のザイトクどもに怒鳴りだした。
一緒にいた友人達もボロクソに罵倒し始め、ザイトクの街宣はグダグダになった。俺は地声。
初めて雪まつりでのヘイトスピーチし放題が終わる。
その年の夏前頃、テレビ塔前でのザイトクの街宣とデモが告知される。カウンターを呼びかけてかなりの賛同者が集まる。事前に集合し作戦たてた。俺や抗議参加経験者はマークされるので警備課引き付ける係。見せしめにパクられるとしたら俺だろうと思ってたので、家の鍵を人に預け猫の世話頼んだ。
ザイトクや参加者からの攻撃避けるため複数での行動、撮影や監視に来てる弁護士への連絡、などの対応を周知する。
その準備してるころ、まだ警備いない公園で準備していたザイトクメンバーと桜井に先輩がヘイトやめろと抗議してた。ザイトクメンバーと桜井の二人は顔も上げれずにいた。
そして準備終えて出動すると、なぜかその日は警備課の個別の執拗なマークがされなかった。なのでそのままガンガン罵倒しながらデモを追いかけ、ザイトクのヘイトスピーチを掻き消した。あわせてヘイトスピーチに抗議していることを周知するチーム、穏やかに周知のビラをまくチームが連携。


この日から風向きが変わった。ヘイトデモに抗議する方がスタンダードになった。警察がなぜ方針変えたかは不明。誰もパクられず、ヘイトデモ参加者に殴られることもなく圧倒して終わった。
だけどなぜかクルマに荷物置きに行った帰り、一人で路上で気が狂いそうになった。カウンターの後はいまでもなる。
翌年の雪まつりはかなり前から対策を練り、ヘイト街宣の完封を狙った。カウンターや罵倒のみでなくやらせない方法。ヘイトスピーチと対極のメッセージで街を埋め尽くす。
雪まつりで訪れる全ての人々に歓迎の意を表し、この街は差別を許さずあらゆる人々を歓迎すると宣言。
複数の政党や労働組合に協力を要請、ミュージシャンにも賛同のメッセージを募った。多言語でのアナウンスを流しながら沢山の車が市内中心部を走り回る。普段真向かい同士の団体も参加してくれた。


この日以降、雪まつりでのヘイトデモ、ヘイト街宣は行われなくなった。詳細な手法については控えるが、警察の協力も得ていた。
しかしその他の日ではヘイトデモは繰り返され、カウンターや抗議も続いた。抗議する人間は増えていった。シットインでヘイトデモを中止に追い込んだ日もあったが、俺は仕事で参加していないので、語るのは参加者に任せる。
少なくともヘイトデモがある度抗議がわきあがり、ヘイトスピーチを罵声で掻き消すことが出来ている。
手法について批判されるが別にいい、もとより汚れ役上等で始めたハナシ。
怒号こそ我らが祈り。
その後も差別に反対するイベントやったり作品出したりして今に至る。
これが札幌と俺の個人的アンチヘイトとカウンターの歴史。正解な日時や修正はマメな方々よろしく(笑)


あと書き忘れてた。
札幌で行われた反ヘイトの写真展、あれで見た映像で完全に俺は着火した。ハラワタが捻れるような怒り。あとヘイトスピーチの映画のなかで見た涙。これは俺の街では許さない。
何でそんなに怒ったのかはわからない。
なんかしらんけど許せなかったんだわ。正義感とかじゃなくて。
俺は俺の為にやってた。これは大事なことだから書いとく。
あとここに書いた一連の出来事は勿論、俺一人でやった事ではない。
沢山の人々が連携して緩やかなチームになっていた。硬軟おりまぜて様々な動きをしていた。俺は声がでかいので目立ってただけ。
綺麗事言って闘わない人も、なにも言わず闘ってく人もいた。俺はその中の一人。