笠井潔/野間易通「3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・SEALDs」(集英社新書)-1

 2015年12月から半年かけて二人の間で交わされた交換エッセー。21世紀の社会運動に関与してきた人たちが、2011.3.11以後の変化を語り合う。もとは集英社のwebで公開されていたのを完結後に一冊にまとめた。一時期は全文がWebにあったが、現在公開されているのは、第1回と第2回だけ。
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/after311/
 さて、サマリーをつくる前に。自分の立ち位置を。2013年始めにツイッターを見ていた時、新大久保でヘイトデモが行われて、排外主義の主張と暴力的行為がひどくなっているのを知った。そこで、「しばき隊」結成のよびかけやプラカ隊募集、そのたのカウンターへの誘いを目にしてきた。いくつか葛藤のすえに、実際に6月30日と9月8日に新宿にいって在特会のヘイトデモへのカウンターのひとりになった。その後も継続的に、反レイシズム運動や戦争反対運動などをチェックするようにしている。なので、野間易通のエッセーはこの数年間に見聞きしてきたことのわかりやすい再編集とまとめだった。そこで、文中に載っているできごとを補足するために、ネットのまとめや動画のリンクをつけてみた。


第1章 「8.30」の光景を前に(笠井潔) ・・・ アメリカのウォール街占拠、アラブの春南欧諸国の反貧困運動、香港の雨傘革命、台湾のひまわり学生運動。日本の反原発運動、反排外主義運動、2015年の反安保。21世紀の10年代の運動を見るところとして、反原連・しばき隊・シールズに注目する。

第2章 雲の人たち(野間易通) ・・・ 反原連・しばき隊・シールズは別だが、ルーツは似ている。「デモやプロテストに集まり終われば霧散する『誰でもない』クラスタ、ときに組織的に連携し風船を膨らませたり水を配ったり車を運転したりサウンドシステムを構築したりする人々は、ある種のリベラリズム的な思想をゆるく共有していて、それは実体のある集団として存在しているものなのである」「『2003年』と『3.11以降』は文字通り連続しているのである。違いは『言うこと聞くよなやつらじゃないぞ』から『言うこと聞かせる番だ俺たちが』への変化だが、このわずかな文言の違いには実は主体の大転換が含まれていて、結果もっとも大きな、本質的な変化を象徴することになった。」
2003年3月8日 WORLD PEACE NOW
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2015年8月30日 国会周辺事態C
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反安保法案:国会周辺など全国で抗議行動
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WE ARE SEALDs.
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1991年ニューヨークの「ACT UP」。
ACT UP - A documentary in progress
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2015/3/10の渋谷区パートナーシップ条例に反対する右翼へのカウンター
2015/03/10 渋谷区頑張れ日本反LGBT街宣へのカウンター - Togetter
2015年6月 あざらしの誕生ドキュメント「We are SEALs.」 2017年には「あざらし」を名乗るものはまずいない。「あざらし命名の経緯をこれで確認。
We are SEALs. - Togetter
2015/9/16 平和安全法制特別委員会 横浜地方公聴会を阻止するデモ
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第3章 「何者かである私」と「何者でもない私」(笠井潔) ・・・ 「『あざらし』と称される『誰でもない』主体は、大衆蜂起を生きる『何者でもない私』ではないだろうか」と著者はいうが、自分のみるところでは無関係。あざらしは、運動でアイディンティティや居場所を見出そうとすることを嫌悪する(「「パリがわれわれを見棄てても、われわれはパリを見棄てない」@レ・ミゼラブルのような心象を持たない)。さらに権力の奪取や警察軍隊との対峙を目的にしない。
「60年安保では、労組員や学生自治会員のような『何者かである者』とは異なる、『何者でもない私』が運動過程に初登場した」。ああ、著者には20世紀の反公害運動(田中正造から水俣病裁判までの)や農民運動、住民運動などは対象外になっているんだ。

第4章 国民なめんな(野間易通) ・・・ 20世紀には「国民」は使いずらい言葉。21世紀に保守/右派が何者でもない者であるという表現で「市民」「国民」を浸かってきた。2012年ころからの反レイシズム運動はナショナリズムを排除しなくる。「3.11以降の社会運動におけるナショナリズムは排外主義者らの『愛国心(patriotism)』と保守・左派双方の『憂国心(national pride)』のせめぎあいの様相を呈していた」。で、2015年のSEALDsは「国民なめんな」をコールする。この国民はnational prideの表現。「リベラル社会運動の文脈においては、これは大きなパラダイム・シフトだと私は思っている。SEALDsはあざらしとも違って『何者でもない人々』ですらない」。
SEALDs 国会前 8.21 圧巻のリレーコール
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SEALDs 国会前 8.28 スピーチ&リレーコール
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第5章 ピープルとネーション(笠井潔) ・・・ 第4章で提起された問題に対する検討。マルチチュードに対してネグリ/ハートの諸運動の分析、国民に対してボリシェヴィズムとフランス革命の国民観。共通点とずれ。
(あいにくツイッター上の「あざらし」による議論では、ネグリ/ハートもレーニンフランス革命も言及されたことがない。)


 笠井潔の議論は、21世紀の運動に追い付いていない。21世紀の諸運動が左翼やサヨク、あるいは労働組合など、組織から切断していて、SNSなどで情報を共有した個人がイシューごとに集まるというできごとを理解や共感できていない。この諸運動を説明しようとすると、彼のよく知っている左翼や新左翼の歴史には類似する事例がない。そこで、フランス革命やパリ革命などマルクス主義やボリシェヴィズム以前の運動を持ち出す。でもそこにも、類似した事例がない。上に書いたように、似ているのは反公害運動その他の住民運動。かつて左翼や新左翼の運動が盛んだった時には、ブルジョア的、住民エゴなどといってきちんと取り上げなかった運動だ。そこにフォーカスできないので、野間易通のレポートする21世紀の運動にまったく批判や評価が届かない。残念ながら、きちんと読む必要はない。

 

 

笠井潔/野間易通「3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・SEALDs」(集英社新書)-2に続く